読書「虞美人草」「きのう何食べた?(9)」

通勤時間中に青空文庫を利用して読了。

10年位前に読んだときも、途中の展開に「ええ!?」って読み返したけれど、久々に読み返してみたら、やっぱり、ちょっとちょっとwwwてな展開。漱石はよっぽど藤尾のことが嫌いだったんだな。

ちなみに、「えええええ??????」ってなった最たる作品は、渡辺純一の「愛の流刑地」。当時日経新聞の1面に連載されていて、これ1面にのっけちゃって大丈夫なのかなと思うくらいの過激な内容だったけど、ある朝ふと新聞をみたらヒロインが尋常でない状況で死を遂げていた。あれは当時日経新聞を読んでいた日本のおじ様方にとってちょっとした衝撃だったにちがいない。

話は虞美人草に戻り、人間関係がこじれにこじれて、これはどうしたものかっていうところで、宗近君とそのお父さんが大活躍。これって、「デウス・エクス・マキナDeus ex machina)」みたいって最初に読み終わってから10年たった今気がつきました。

確かに甲野家から宗近家にシーンが変わる場面等々、本当の劇を見ているようになっているので、その辺を意識して書かれたのかなーと新鮮な再発見があって嬉しい。

藤尾はあんな扱いを受けるほどひどいことはしていないように思うし、小野さんと結婚する小夜子は幸せになれるのか疑問だわー、というなかなかお昼のドラマ的に楽しめる本でした。

最後に宗近君の名言。

「君は学問も僕より出来る。頭も僕より好い。僕は君を尊敬している。尊敬しているから救いに来た」

「こう云う危あやうい時に、生れつきを敲直して置かないと、生涯不安でしまうよ。いくら勉強しても、いくら学者になっても取り返しはつかない。ここだよ、小野さん、真面目になるのは。世の中に真面目は、どんなものか一生知らずに済んでしまう人間がいくらもある。皮だけで生きている人間は、土だけで出来ている人形とそう違わない。真面目がなければだが、あるのに人形になるのはもったいない。真面目になった後あとは心持がいいものだよ。君にそう云う経験があるかい」

「僕が君より平気なのは、学問のためでも、勉強のためでも、何でもない。時々真面目になるからさ。なるからと云うより、なれるからと云った方が適当だろう。真面目になれるほど、自信力の出る事はない。真面目になれるほど、腰が据すわる事はない。真面目になれるほど、精神の存在を自覚する事はない。天地の前に自分が儼存していると云う観念は、真面目になって始めて得られる自覚だ。真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。やっつける意味だよ。やっつけなくっちゃいられない意味だよ。人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて始めて真面目になった気持になる。安心する。実を云うと僕の妹も昨日真面目になった。甲野も昨日真面目になった。僕は昨日も、今日も真面目だ。君もこの際一度真面目になれ。人一人真面目になると当人が助かるばかりじゃない。世の中が助かる。――どうだね、小野さん、僕の云う事は分らないかね」

 

久々の新刊。しろさん50かぁ。老眼!!!!!

料理のレシピが相変わらずおいしそうでいろいろ作りなくなるのと同時に、自分が年をとって親も年をとるってこういうことなんだ…っていうのを今回読んで強く感じさせられました。今のうちにいろいろ自分の年齢を満喫しておかなくては。

海外で共感の嵐!アナタが今すぐやらないと後悔する、「27のコト」

もっともっとうまく時間を捻出して遊びたいし勉強したい。