日経ビジネス「ノーベル賞受賞、『青色LED』の産官学モデルがうまくいった理由」

日経ビジネスオンライン(10月7日)より。

 戦後最大の成功モデル。  青色LEDの開発は、国内の科学技術政策担当者や大学関係者からこう評されている。それは単に照明、携帯電話やテレビのバックライト、信号機といった応用分野の広さだけが理由ではない。大学の基礎研究で生まれた技術シーズを国内の企業に移転し、産業化に結びつけた「お手本」のような事例だからだ。
 青色LEDが成功モデルになりえた要因はいくつかある。第1に、海外勢を含め多くの競合する研究者や企業が開発を断念するなか、国内のメーカーや大学研究者が粘り強く研究を続けたこと。LEDでは、光の三原色のうち赤や緑は1960年代にできたが、残る青色で赤崎氏らが初めて成功したのは、それから20年以上を経た1989年のことだ。  さらに、公的機関による支援も機能した。赤崎氏の成果を豊田合成に移転するプロセスでは、科学技術振興機構JST)の前身である新技術開発事業団が豊田合成とともに赤崎氏に働きかけ、JSTの委託開発プロジェクトの一環として実用化を進めた。

「基礎研究と産業を結ぶ仕組みを機能させ続けること」、これが一番難しそう。